雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆に木偶の坊と呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
―「雨ニモマケズ」 宮沢賢治
宮沢賢治に
わたしは
なりたい
2011年3月20日日曜日
人間への試金石
東北関東大震災。
未曾有の災害、と報道されている。
被災地にいないので実情は分からないが、少なくとも阪神・淡路大震災よりも遥かに多くの犠牲者を出したのは間違いない。
南関東に住み、被害を免れた我々も、日々停電や原発の脅威に怯えて暮らしている。
災害は、もちろん、起こって欲しくない。
だが、このようなときこそ、人間のモラルや本当の強さ、優しさ、そして人間が人間たる所以を試されている気がする。
大袈裟に言えば、このような大規模自然災害は、神が人間に与える試金石ではないかと思う。
電気がなくなる。モノがなくなる。交通機関が麻痺する。そんな中で、本当に大事なものは何かを考える。
考える。
考える。
考える、ことが、できる、ということは、人間が人間たる所以である。
誰かが関東は危ない、という。
危ない、から、逃げる、というのは、思考が停止している証拠である。
危ないのは分かった。では自分はどうするのか。家族をどうするのか。守るべき人とどう行動するのか。
それを考えるのが人間である。
危ないから逃げる、では、人間ではなく、動物だ。
動物は、危険を敏感に察知し、無意識に自己防衛本能を働かせ、一目散に逃げる。
人間も動物であるから、もちろん究極的には自己防衛本能が働き逃げようとする。
しかし、この日本という、人口密集度の極めて高い国で、全ての人間が動物的行動をとったらどうのような事態になるかは、自明の理である。
3連休、関東から大阪や名古屋のホテルに逃れる人で、両地域のホテルが満室になったというニュースを聞いた。
彼らは、思考しているのだろうか?
仮に、東京が壊滅的な被害を受けるような事態になったとしたら、名古屋にいようが大阪にいようが、大差ないということに考えが及ばないのであろうか?
そこに考えが及べば、行動は違ってくるはずだ。
昔、人の噂、というものに惑わされて、痛い目にあったことがある。
それから、私は、あらゆる物事を、自分の目で見、耳で聞き、自分の頭で考えるクセをつけた。
誰がなんと言おうと、自分で納得できないことはしない。
それが、現代社会を無難に生きていくことに対して、しばしば邪魔をしたとしても、だ。
人間は一人で生きているわけではない。
地方から上京して、一人で暮らしている身でも、必ず誰かのお世話になっているはずだ。
私はいつもJ-WAVEというラジオ局のお世話になっている。
お世話になっているとは大袈裟かもしれない。ただ、ラジオを聴いているだけだが、それでもナビゲータの言葉に勇気をもらったり、流れる音楽に心を癒されたりする。
ナビゲーターは違う世界の人たちかもしれないが、同じ関東に暮らす人間だ。
彼らだって怖いはずだ。だけど、リスナーに呼びかける。
一緒に頑張りましょう、と。
私は世界30カ国を旅して様々な人種、人間性に触れてきた。
時に、日本と言う国が、日本人という人種が、狭小で世知辛い民族のように思うこともあった。
だけど、それは思考することを要求されなくなった、管理された日本という社会に住む人間の宿命のように思う。
人間の本能的な優しさ、強さ、そして考える力は万国共通だ。
今こそ、日本人は、人間の最も高尚な性質を発揮するときだと思う。
私は世界の人に思ってもらいたい。
日本人のように振舞えるようになりたい、と。
そう思った世界の人たちが、次に自分たちが同じ境遇に陥ったとき、尊敬に値する行動をとってくれれば、世界は変わる。
今、憔悴しているヒマなどない。
生きている我々が、自分で考えて行動をする。
特別なことはしなくていい。
自分ができる精一杯を、すればいい。
一人ひとりの小さな行動が、やがて世界を変えるかもしれない。
思考を止めてはいけない。
無駄な情報は掃いて捨てる。
考える。
考える。
人間として。
震災で亡くなられた多くの方に、心よりお悔やみ申し上げます
未曾有の災害、と報道されている。
被災地にいないので実情は分からないが、少なくとも阪神・淡路大震災よりも遥かに多くの犠牲者を出したのは間違いない。
南関東に住み、被害を免れた我々も、日々停電や原発の脅威に怯えて暮らしている。
災害は、もちろん、起こって欲しくない。
だが、このようなときこそ、人間のモラルや本当の強さ、優しさ、そして人間が人間たる所以を試されている気がする。
大袈裟に言えば、このような大規模自然災害は、神が人間に与える試金石ではないかと思う。
電気がなくなる。モノがなくなる。交通機関が麻痺する。そんな中で、本当に大事なものは何かを考える。
考える。
考える。
考える、ことが、できる、ということは、人間が人間たる所以である。
誰かが関東は危ない、という。
危ない、から、逃げる、というのは、思考が停止している証拠である。
危ないのは分かった。では自分はどうするのか。家族をどうするのか。守るべき人とどう行動するのか。
それを考えるのが人間である。
危ないから逃げる、では、人間ではなく、動物だ。
動物は、危険を敏感に察知し、無意識に自己防衛本能を働かせ、一目散に逃げる。
人間も動物であるから、もちろん究極的には自己防衛本能が働き逃げようとする。
しかし、この日本という、人口密集度の極めて高い国で、全ての人間が動物的行動をとったらどうのような事態になるかは、自明の理である。
3連休、関東から大阪や名古屋のホテルに逃れる人で、両地域のホテルが満室になったというニュースを聞いた。
彼らは、思考しているのだろうか?
仮に、東京が壊滅的な被害を受けるような事態になったとしたら、名古屋にいようが大阪にいようが、大差ないということに考えが及ばないのであろうか?
そこに考えが及べば、行動は違ってくるはずだ。
昔、人の噂、というものに惑わされて、痛い目にあったことがある。
それから、私は、あらゆる物事を、自分の目で見、耳で聞き、自分の頭で考えるクセをつけた。
誰がなんと言おうと、自分で納得できないことはしない。
それが、現代社会を無難に生きていくことに対して、しばしば邪魔をしたとしても、だ。
人間は一人で生きているわけではない。
地方から上京して、一人で暮らしている身でも、必ず誰かのお世話になっているはずだ。
私はいつもJ-WAVEというラジオ局のお世話になっている。
お世話になっているとは大袈裟かもしれない。ただ、ラジオを聴いているだけだが、それでもナビゲータの言葉に勇気をもらったり、流れる音楽に心を癒されたりする。
ナビゲーターは違う世界の人たちかもしれないが、同じ関東に暮らす人間だ。
彼らだって怖いはずだ。だけど、リスナーに呼びかける。
一緒に頑張りましょう、と。
私は世界30カ国を旅して様々な人種、人間性に触れてきた。
時に、日本と言う国が、日本人という人種が、狭小で世知辛い民族のように思うこともあった。
だけど、それは思考することを要求されなくなった、管理された日本という社会に住む人間の宿命のように思う。
人間の本能的な優しさ、強さ、そして考える力は万国共通だ。
今こそ、日本人は、人間の最も高尚な性質を発揮するときだと思う。
私は世界の人に思ってもらいたい。
日本人のように振舞えるようになりたい、と。
そう思った世界の人たちが、次に自分たちが同じ境遇に陥ったとき、尊敬に値する行動をとってくれれば、世界は変わる。
今、憔悴しているヒマなどない。
生きている我々が、自分で考えて行動をする。
特別なことはしなくていい。
自分ができる精一杯を、すればいい。
一人ひとりの小さな行動が、やがて世界を変えるかもしれない。
思考を止めてはいけない。
無駄な情報は掃いて捨てる。
考える。
考える。
人間として。
震災で亡くなられた多くの方に、心よりお悔やみ申し上げます
登録:
コメント (Atom)