2011年3月20日日曜日

人間への試金石

東北関東大震災。

未曾有の災害、と報道されている。

被災地にいないので実情は分からないが、少なくとも阪神・淡路大震災よりも遥かに多くの犠牲者を出したのは間違いない。

南関東に住み、被害を免れた我々も、日々停電や原発の脅威に怯えて暮らしている。

災害は、もちろん、起こって欲しくない。

だが、このようなときこそ、人間のモラルや本当の強さ、優しさ、そして人間が人間たる所以を試されている気がする。

大袈裟に言えば、このような大規模自然災害は、神が人間に与える試金石ではないかと思う。

電気がなくなる。モノがなくなる。交通機関が麻痺する。そんな中で、本当に大事なものは何かを考える。

考える。

考える。

考える、ことが、できる、ということは、人間が人間たる所以である。


誰かが関東は危ない、という。

危ない、から、逃げる、というのは、思考が停止している証拠である。

危ないのは分かった。では自分はどうするのか。家族をどうするのか。守るべき人とどう行動するのか。

それを考えるのが人間である。

危ないから逃げる、では、人間ではなく、動物だ。

動物は、危険を敏感に察知し、無意識に自己防衛本能を働かせ、一目散に逃げる。

人間も動物であるから、もちろん究極的には自己防衛本能が働き逃げようとする。

しかし、この日本という、人口密集度の極めて高い国で、全ての人間が動物的行動をとったらどうのような事態になるかは、自明の理である。

3連休、関東から大阪や名古屋のホテルに逃れる人で、両地域のホテルが満室になったというニュースを聞いた。

彼らは、思考しているのだろうか?

仮に、東京が壊滅的な被害を受けるような事態になったとしたら、名古屋にいようが大阪にいようが、大差ないということに考えが及ばないのであろうか?

そこに考えが及べば、行動は違ってくるはずだ。


昔、人の噂、というものに惑わされて、痛い目にあったことがある。

それから、私は、あらゆる物事を、自分の目で見、耳で聞き、自分の頭で考えるクセをつけた。

誰がなんと言おうと、自分で納得できないことはしない。

それが、現代社会を無難に生きていくことに対して、しばしば邪魔をしたとしても、だ。


人間は一人で生きているわけではない。

地方から上京して、一人で暮らしている身でも、必ず誰かのお世話になっているはずだ。

私はいつもJ-WAVEというラジオ局のお世話になっている。

お世話になっているとは大袈裟かもしれない。ただ、ラジオを聴いているだけだが、それでもナビゲータの言葉に勇気をもらったり、流れる音楽に心を癒されたりする。

ナビゲーターは違う世界の人たちかもしれないが、同じ関東に暮らす人間だ。

彼らだって怖いはずだ。だけど、リスナーに呼びかける。

一緒に頑張りましょう、と。


私は世界30カ国を旅して様々な人種、人間性に触れてきた。

時に、日本と言う国が、日本人という人種が、狭小で世知辛い民族のように思うこともあった。

だけど、それは思考することを要求されなくなった、管理された日本という社会に住む人間の宿命のように思う。

人間の本能的な優しさ、強さ、そして考える力は万国共通だ。

今こそ、日本人は、人間の最も高尚な性質を発揮するときだと思う。

私は世界の人に思ってもらいたい。

日本人のように振舞えるようになりたい、と。

そう思った世界の人たちが、次に自分たちが同じ境遇に陥ったとき、尊敬に値する行動をとってくれれば、世界は変わる。


今、憔悴しているヒマなどない。

生きている我々が、自分で考えて行動をする。

特別なことはしなくていい。

自分ができる精一杯を、すればいい。

一人ひとりの小さな行動が、やがて世界を変えるかもしれない。

思考を止めてはいけない。

無駄な情報は掃いて捨てる。

考える。

考える。

人間として。


震災で亡くなられた多くの方に、心よりお悔やみ申し上げます

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