2011年1月23日日曜日

エステバン?

あ~、やっと風邪が治った、おもたら、鼻水出るやん、目かゆいやん。

きましたやん、スギ花粉の季節が。

今年は去年の8~10倍やて。なんじゃそれ、っちゅうかんじやけど、まああの猛暑やから覚悟はしてた。

んで、病院で去年までとは違う薬を出してもらう。

「せんせー、今年は強烈って言うてますやん。ヤバイっちゅう話ですやん。去年までのアレグラ君では今年のスギヒノキ連合軍には太刀打ち出来んのとちゃいますか??」

「うーん、そうだね。では、今回はエバステル君でいこうじゃないか」

「エステバン?グロリア・エステバン??キューバ人ですか?」

「・・・キミ、古いね・・・日本製だけどね・・・」

「せんせー、エステバン君は、強いんでっか??」

「おう、強いよ。・・・エバステルだけどね」

「よっしゃあ、そのアバズレルで、おねがいしまっす!」

「・・・エバステルね・・・」

というわけで、エステバンくんを昨日から飲んでるわけやけどね。

ごっつぅ、眠いねん。

めちゃめちゃ眠いねん。

これはやばいで。明日からやばいで。

花粉もやばいけど、エステバンくんの眠気もやばいねん。

今日は朝起きてからも、昨日のアジア杯録画で見ながらずーっと転寝してた。

どうしたらええんやろ、せんせー??

あー、今にも寝そうなくらい、眠いぃぃx・・・xエステバンくぅ~~ん・・・

あ、エバステル、ね

2011年1月22日土曜日

偉人のウィット

文豪、夏目漱石が旧制一校で講師をやっていた頃のエピソード。

生徒の中に、いつも左腕を着物の中に入れたぞんざいな感じの男がいた。

見かねた漱石は、ある日ついに

「○○くん、授業中は左腕を出しなさい」

と注意した。

しかし、隣に座っていた男が言った。

「先生、この男は事故で左腕がないのです」

漱石先生、しまった、と思ったがもう遅い。

緊張で張り詰める空気・・・

しかし、そこで漱石はすかさずこう切り返した。

「私もない知恵を出して講義をしているのだから、君もない腕を出したまえ」

満場爆笑、そして喝采。

ない知恵どころか、限りないインテリジェンスとウィットのセンス。

稀代の識者、夏目漱石をよく物語る逸話である。

人間、頭がいいだけではいけない。

ユーモアとウィットがあってこその、魅力的な人間。

勿論、私などではとてもではないがこんな切り替えしは出来ないけれど。

この有名なエピソードは、漱石を神格化したがる人への当て付けで、漱石だって失言をするのだ、漱石なんて大したことはないのだ、というネガティブな意味合いで語る向きもあるが、人間漱石の魅力を現す以外の何物でもないと思う。

ちなみに、後年、その左腕のない男はひとかどの人物になったと伝えられる。

fantastic!

日本代表が面白くなった!
(もちろんサッカーね!)

昨日のアジア杯準々決勝、カタール戦。
後半警告退場で10人になり、フリーキックを決められ、1-2とリードを許したにも関わらず、テレビ画面からは一昔前の代表のような危機感、悲壮感、敗北感は感じなかった。
むしろ、ドラマチックな逆転劇を魅せてくれるのではないか、という期待感。

そして、現実になるんだもん!

後半44分での見事な逆転劇。なんとfantastic!
(その前の香川の同点弾はそれこそ鳥肌ものだったけど)

昨年、W杯直前の親善試合で見せたふがいなさから、さんざんメディア、サポーターに叩かれながらも、本大会では見事16強入りを果たした日本代表。

あのW杯前のどん底が、実は日本のサッカー界の転換期だった、と、思うのだな。

W杯では3戦全敗を予想する声が多かったし、僕も正直そうかもな~、なんて思ってたけど、予選リーグ3試合、どれもこれも素晴らしかった。

そして、劇的な敗戦となったパラグアイ戦も。あれは負け方すら、素晴らしかった。未来に繋がる敗戦だった。


W杯ほどは注目されていないアジア杯。

でも、面白い。

すげー面白いよ。

日本のサッカーは変わったね。
素人の僕でも分かるくらいだ。

エゴイスト、個人主義といわれる本田でさえ、昨日の1点目をとった後、みんなで岡崎の第二子誕生を祝う「ゆりかごパフォーマンス」の輪に楽しげに入っていたのを見るだけでも、今の代表チームがすげーいいチームなんだって分かるよね。

この10年、常に1人の「ファンタジスタ」と呼ばれるスター選手と、その他大勢で構成されていた日本代表。

中田も中村もよかったけど、やはりサッカーはチームプレー。

1人のファンタジスタよりも、チーム全体の調和が生み出すファンタスティックなFootball。

「和」は「輪」を作り「我」を生かす。

今の日本代表には、それがある。

アジア杯、優勝期待しています!

2011年1月20日木曜日

フェリーニ

「始まりというものはない

 終わりというものもない

 人生には、無限の情熱があるだけだ」


イタリア人映画監督、フェデリコ・フェリーニの言葉。

高橋大輔がバンクーバー冬季五輪で銅メダルを獲得した演目のテーマ曲、「道」の監督。

「道」は母親が大好きな映画だ。

フェリーニは、人生を道にたとえ、始まりも終わりもない、ということを表現したのだ。

生涯、生きることに対して情熱を燃やし続けた偉大な芸術家。

オレもこういうこと、言ってみたいなぁ~

2011年1月15日土曜日

美談の裏に・・・

先日、心臓移植が必要な福岡市に住む2歳の男の子の募金活動で、無事一億五千万円が集まり、米国にて手術を受けることとなった、との報道がなされた。

この手の話は昔からよくある。

しかし私は、良かったね、と思いながら、昔からこの手の話を聞くたびに、子供心にも何か釈然としないものを感じていた。

このように多額の募金活動が成功するケースの背景には、親が何かしらの社会的地位を持つ場合に限られる、という現実があると思う。今回の例では、親御さんはラグビーの審判で、今年正月の全国高校ラグビーフットボール大会の主審を務めた人物である。

もし、と思う。

この親御さんが、偶然にも失業状態にあったとしたら、今回の募金活動なるものは成功したのだろうか?職にあったとしても、いわゆるフリーターであったら、どうだったろうか?

一億五千万円という金額は、とんでもない大金である(もちろんお金の価値観は人ぞれぞれだから、大金だと思わない人もいるのだろうけど)。

この金額があれば、地球上の何人の子供の命を救うことができるだろう?

募金が悪いとは言っていない。

人が人の命を救うために寄付をする、そのこと自体に文句をいう気はない。

ただ、このような報道を目にして、何も疑問を感じない、というのは、多くの日本人がいかに自分と自分の周りだけしか見ていないか、という証拠ではなかろうか?

世の中には、生まれながらにして命の危機にある子供など、言葉は悪いが掃いて捨てるほどいるのだ。

それは何もアジアの貧困国やアフリカなどの開発途上国に限ったことではない。

日本にだってたくさんいるのだ。

例え命は奪われなくても、生まれながらに難病を抱え、もしかしたら死ぬよりも過酷な命を長らえなけばならない人だっているはずだ。

そのような現実があるにもかかわらず、マスコミは美談として取り上げ、無垢で無知な聴衆は美談に「良かったね」と言い、ややもすれば寄付をしなかった自分に罪悪感を感じたりもする。

だが。

報道は、必要ないだろう。

募金が成功したのなら、ひっそりと渡米させて、ひっそりと手術を受けさせてあげればいい。

それが成熟した社会というものだろう。それが思いやりだろう。

全国ネットで報道されることによって、彼の命には既に「一億五千万円」という「公開価格」が付けられてしまったのだ。

私は、将来この子供が背負うかもしれない重荷を想像すると気の毒になる。

まあ、それは私が心配する範疇のことではないのだけれど。


本当に困っている多くの人が救われないという現実。

人は、それを知らず、あるいは知りながらも、自分とは違う世界の話として目を逸らす。

目を逸らし続けても、苦難は誰の身にも降りかかる可能性がある。

そのときは彼は、彼女はどうするのか?

物事から目を逸らす、或いは思索することをやめる、ということは、そのことへの対処を放棄することに等しい。

報道は全でも善でもない。まして正でなんてあるはずもない。

情報の垂れ流し社会の中で、人もまた情報の受け流しが常となっているように思う。

情報を受け取ったら自分なりに解釈する。思索する。それが健全な人間が住む社会だ。

それができない日本に、とても強い危機感を感じる。

ばかもの

2年遅れで、絲山秋子の話題作「ばかもの」を読んだ。

そう、「ばかもの」は、自分にとっては誠に遺憾ながら、話題になりすぎた。

話題になりすぎると、それが例え最愛の作家の作品であっても二の足を踏む、というのは自分の性である。

こっそり独り占めしていた大切なものをガキ大将に取り上げられ、「こいつこんないいもん隠してたぜー!」と言われたいじめられっ子のような心境だ。

とにもかくにも、話題になりすぎてイヤだなぁ、と思いつつも、買ってみた。

読んでみた。

ついに、絲山秋子がやってしまった、と思った。

絲山秋子が、初めて駄作を書いたと思った。

絲山秋子も、やはり人の子、などと大げさに思ってもみた。

ストレート過ぎる表現、ひねりのない構成、一方通行の時間軸。どれをとっても、今までの絲山の作品とは明らかに違うレベルにあった。

しかし、だ。

駄作を最後まで読み続けることは本当にしんどい作業なはずなのだ。なのに、このサクサクと進む読書感はなんなのか?と思いながら、結局1日もあけずに完読してしまったのだ。

結論から言う。

話題どおりだ。

最高傑作だった。

これまで精緻に、巧妙に、複雑に組み上げられていた絲山の時間構成軸が、こうも単調になったのには、真の狙いがあったと気づかされる。
決して「時間」という絶対神に抗うことのできない人間の営みを、あえてその時間軸を一本にすることで、鮮やかに、残酷に、嘘偽りなく描き出した。

脱帽である。

本当に、物事は表面だけを見て安易に判断してはいけないのだ。

絲山秋子様。

言葉足らずで恥ずかしいのですが、脱帽であります。

誠に、良き作品でした。

マックで泣いてしまったのは困りましたけど。

(それでも、やはり、「アーリオ・アーリオ」が一番すきなのだけれど)


「ばかもの」は、内田有紀主演で公開中であります。

映画はみないと思うけど。

2011年1月11日火曜日

膨張する小宇宙

十数年前、HMV横浜のジャズコーナーは広大なスペースを誇り、そこはガラスと扉で区切られた異空間だった。

POPSなんかを聞いている身からすれば、何か聖域のような佇まいがあった。
その異空間に飛び込んだのは、何の因果だったのだろうか。
私は明らかに闖入者だった。

異空間に漂う、独特の空気に威圧されながら、何も分からず、「A」の棚から順番に、次々とCDを引っ張り出しては戻す作業。ジャズに造詣がないのだから、耳に書かれたコピーとジャケットの写真に頼る選別作業。
「Z」まで続けるとしたら、それはとてつもなく果てしない作業だったのだけれども、しかし、その作業はすぐに「B」の棚で終わりになった。

ビル・エバンス。

耳にしたことはあるその名前と、ジャケットに写る神経質そうな、だけども底知れない知性と感性を秘めた風貌に惹かれた。「Waltz for Debby」というタイトルの、ジャケットの耳に書かれた短いコピーを読んだ。

「ジャズ史上に燦然と輝く永遠の名盤」。

誰にでも書ける陳腐なコピー。
しかし、陳腐なコピーは容易に闖入者の心を捉えた。

スコット・ラファロのベースが素晴らしいという。目立たないが、ポール・モチアンあってのトリオ演奏だと言う。確かにそうかも知れないが、そんなことはジャズを初めて聴いたものには分かることではない。だけど、その名盤を再生した瞬間、エバンスのピアノプレイは、確実に、速やかに、強烈なメッセージとインパクトを私の脳に打ち込んだ。
この瞬間、私の中にジャズという小宇宙が誕生した。

そして、ビル・エバンスという太陽が。


初めて「ワルツ・フォー・デビー」を聴いてからもう十年以上の歳月が経つが、未だに週に何度かはこのアルバムを聴く。
1千回、は聴いたと思う。998回目と999回目に何の差異もないこともあれば、突然1000回目に新たな発見をすることもある。そんなアルバムである。

アルバムタイトル曲、ワルツ・フォー・デビー。エバンスが自らの姪、デビーに捧げた、その優雅で繊細な旋律は、聴くたびに、今でも私の脳を刺激する。脳の中で、1400億個の神経細胞は揺さぶられ、新たなシナプスを生成し、音楽領域を再構築する。

十年前、私の中に生まれたジャズという小宇宙。その小宇宙の中心に存在するビル・エバンスという太陽は、今も尚、果てしない膨張を続け、周りの惑星を飲み込んでいく。太陽の膨張に伴い、小宇宙も膨張を続け、やがて、私の銀河を支配する。

2011年1月10日月曜日

大人ってなんや??

成人式の日に。

大人について考える。

オトナって何や?

今の自分って、オトナか?いやいや、だからオトナって何なん?オトナの定義。Define OTONA。

「大人しい」って書くやん。おとなしい人のこと。じっと黙って動かん人はオトナなんやろか?
あえてオトナを定義すると、「じっと黙って動かん人」。そんな気がする。でも、たぶんそれだけや。あと、公共交通機関とか博物館とかの入場料が違う、ってことくらい。

子供が思うところの、いわゆるオトナなんて、この世には存在せんのよ。リリー・フランキーも言うてる。オトナは子供の想像の産物やて。スーパーマンとおんなじ。子供にとってのオトナって、すごい存在やろ?
でも、スーパーマンやったら、明らかにおらん、って分かるけど、オトナ、というか、オトナらしき人は、実際世の中にゴマンとおるわけやから、メンドクサイ。

オトナって、つまるとこ、方便やろ。

オトナって言っとけば収まりがええから。

人間の世界での、神。
数字の世界での、ゼロ。
子供の世界での、オトナ。

子供に対して、「オトナの言うことは聞きなさい」と言っとけば、楽やからね。

だけど、子供に対してモノが言えるオトナがこの世にどんだけおるんやろか?

だってみんな、子供のままやろ?

僕は、私は、僕が、私が、子供のころに想像してたオトナそのものです!って言える人が、おるんやろか?
そんな人おったら会いたい。

自分は、こんなはずやなかった、って思うけど、これが現実。

37歳になってもオトナになんてなれへん。それが真実。

でも、たぶんそれでええんやと思う。

人間は死ぬまで成長する子供。

自分はオトナ、って思ったら、それはもしかしたら成長することを止めてしまった証拠かも知れんから。

2011年1月3日月曜日

人生のハイライト

年をとると、若いころには全く興味のなかった駅伝というものにハマるようになる、という人は多いようだ。

まあ、ワタクシも例にもれず、である。4、5年前からは、正月に箱根駅伝をほぼ毎年観ている。

おまけに、時を同じくして母校が復活出場を果たしたのだから、まあ、観ないわけにはいかないのである。

今年は前評判通り、早稲田と東洋の一騎打ちとなったわけで、東洋柏原が3年連続往路優勝を決めた5区の攻防はもちろん、その東洋に借りを返した早稲田の6区高野もすばらしい走りだった。

シード争いも、最後まで見応えがあった。

しかし、ワタクシが心を動かされたのは19位でゴールした上武大の最終ランナー。既に優勝争いも、シード権争いも終わった中、アナウンサーが事前に用意していたであろう文章を読み上げる。

「四年生にして初出場の彼は、この箱根駅伝を最後に、レースから身を引きます。卒業後は地元の村役場に就職が決まっています。最初で最後の箱根駅伝です」と。

おそらく、全ての出場選手のプロフィールは用意されているだろう。しかし、このようにレースとは関係ない個人のプロフィールをのんびりと紹介されるのは、彼が最終ランナーとして、あの19位という位置を走っていたからこその賜物なのである。

エントリー150人の選手の中で、19位という、ビリから二つ目のポジションを走りながら、彼は一生残るであろう全国放送での個人紹介を、単独で受けたのだ。今後も陸上会で長く活躍する選手ではない。これが最後となるレースで、彼はおそらく人生のハイライトを迎えたのだ。

22歳という年齢で人生のハイライトを迎えるのは早すぎると思うかもしれない。人生は長いのだから。

ただ、少なくとも、彼がこの箱根駅伝で、一生の宝物を手に入れたことは間違いないのだ。きっと、就職先の村役場でも、定年まで「箱根ランナー」と言われ続けることだろう。それは、素晴らしいことに違いない。彼は一生の宝物と同時に、死ぬまで消えることのない誇りを手に入れたのだから。

数あるスポーツの中でも、箱根駅伝というのはプロではない、その素人臭さゆえ、人間ドラマが突出している。そこが観る人の心を捉えるのだろう。

今年も心に残るドラマを見せてくれた選手たちに、お礼をいいたい。

ありがとうございました。